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秀明自然農法とは

秀明自然農法って?

秀明自然農法って?

   宗教家であり、哲学者、芸術家でもあった、
岡田茂吉師(1882~1955)が提唱した自然栽培法で、土に対して一切の不純物を混ぜずに、土を清浄化し、土自体の力を強化し、発揮させる農法です。
 その根本理念は、『自然順応・自然尊重』であり、「清浄な土」と、自家採種による「清浄な種子」、そして、生産者の作物に対する「愛情」、大地や自然への「感謝の心」が特徴であり重要な要素となります。

 

 土を清浄にするために、農薬、化学肥料だけでなく、有機肥料も一切使用しません。唯一、「堆肥」として使用するのは、自然の草葉で作られた「自然堆肥」のみですが、これは、土を「温める」「固めない」「乾かさない」ために使用します。ですから、自然堆肥でさえ、土の状態によって一時使う程度で、堆肥を使わないと作物が育たないということではありません。

有機農業との違いは?

有機農業との違いは?

   現在、一般的に行われ、市場に出回っている有機農産物の大半は、有機JAS規格で使用が認められている農薬、肥料もあり、また、化学肥料が有機肥料に、 農薬が代替農薬に変わっただけで、本質的には大きな違いのないものだと、言わざるを得ない中身になってしまっていると思います。
 つまり、「どういう肥料を使えばいいのか」、「何を使って病虫害を防げばいいのか」という、いわゆる“農薬迷信”、“肥料迷信”に罹ってしまっているのです。

 

 かつて、先人たちが目指した、大自然に学び、自然の生態系や、有機的なつながりを生かした、本来の有機農業から逸脱した、自然との共生を履き違えた、反自然的有機農業になってしまっているように思えてなりません。

どうして、肥料無しで作物が育つの?

どうして、肥料無しで作物が育つの?

   自然豊かな森林や野山を見れば、四季折々に多種多様な木々や草花、虫や動物たちが、多様に支え合い、交じり合いながら、まさに、「自然の力」によって生かされています。そこでは、農薬も肥料も撒かれることはありません。野草や山菜にしても、毎年立派に生育しています。本来、人間も作物も同じなのです。
 ところが、見た目をよりきれいに、より多く、より早く収穫しよう、形や大きさを揃えよう、といった人間の「欲」が、肥料と農薬の使用を、また、不自然な品種改良の数々を常識として来てしまったのです。

 

 本来、「土」というものには、植物、作物を育てるために必要な栄養素は十分に備わっていて、土の中には、数え切れないほどの菌や微生物たちが、枯れ草や落ち葉、動物の糞や死骸などの分解、還元のために、休むことなく活動しています。植物の根と菌とが、まるで「会話」をしているかのように、お互いに必要な栄養素を交換し合う、神秘的な共生関係も分かってきています。自然界の、深遠微妙というか、絶妙な仕組みは、人智を超えた、実に奥の深い素晴らしいものです。
 確実に言えることは、化学肥料や農薬を投入すればするほど、菌や微生物は死滅します。土が力を失うだけでなく、自然の生態系にも悪影響を与えます。自然のバランスを崩すという意味では、有機肥料の投入も例外ではありません。

自然力(火・水・土)

自然力(火・水・土)

   私たちが生きるために欠かせない、空気も火も水も、すべては自然からの贈り物です。
 地球上の動植物たちによる、光合成をはじめとする多様な活動によって生み出される資源の価値を金額に換算すると、少なくとも年間約50兆円に上ると言われます。
 あらゆる生き物が生成化育する上で、必要な3要素として、「火(ひ)・水(みず)・土(つち)」という考え方があります。
 「火」とは、太陽(日)からの光と熱であり、「照らし、温める」力です。

  「水」とは、空気を含むあらゆる水分であり、月の引力や夜の安らぎ、風の働きなども意味し、「潤し、安らげる」力です。
 
そして、「土」。大いなる大地。まさに命の塊であり、「育み、生み出す」力です。この火・水・土の力が融合し、三位一体となって、「自然力」という、目には見えませんが、すべての生命を育む根源的力が働くのです。
 ですから、作物を栽培する上で大切なことは、『日当たりをよくし、水分を豊富にし、土をより清くする事』で、自然の力を如何に最大限に引き出し活用することが出来るか、その工夫と努力が不可欠です。自然をよく観察し、土地の環境に適した方法を見出し、そこに、土を尊び、自然に感謝する心が加われば、秀明自然農法は、ぐっと、成功に近づきます。

自然がすべてを教えている

自然がすべてを教えている

 

自然がすべてを教えている

 人間の生活空間は、決して独立したものではありません。人が「生活」するということは、良くも悪くも、必ず何らかの影響を周囲に与えます。
 「里山」というように、昔の人たちは、自然に寄り添いながら、つつましく生きてきました。植栽から柴刈り、間伐など、山の手入れをし、食料や燃料、資材など、生活資源としての「山の恵み」、ひいては「川」や「海」に至るまで、「自然の恵み」を得ながら、自然との共生を果たしてきました。
 土を尊び、自然を愛することが、何より大切です。「自然との共生」とは、人間の都合に合わせて、自然を操作することではなく、自然の理(ことわり)に、人間が合わせていくことだと思います。常に自然と向き合い、自然から学ぶ「謙虚さ」を持つことです。
 『人間は、何よりも人間自体を知り、大自然に追随し、その恩恵に浴する事こそ最も賢明な考え方である。』と、岡田師が教えるように、人が自然とどのように関わるかが重要です。できる限り汚(けが)すことなく、自然に寄り添い、人と農と食の正しい関係性に気づき、「生き方」に気づくことです。
 自然と上手に関わり、共生する中で、その恩恵を受ける。世の中には、「自然の恵み」という言葉が蔓延していますが、無神経に自然に負担を与え、環境汚染や破壊につながるような行いをして、自然の恵みというのはおかしな話で、自然に感謝し、多様性豊かな生命の環境を保全しながら生きていく中で、初めて「本当の恵み」を頂くことが出来るのです。

天与の味わい・生命力

天与の味わい・生命力
 

天与の味わい・生命力
 

天与の味わい・生命力   

 


 人も動物も植物も、あらゆる生き物にとって、どういう環境で、どういうものを食べて(吸収して)育ったか、ということが、非常に重要です。簡単に言えば、健全で健康か、否か、ということです。
 無肥(肥料不使用)と有肥(肥料使用)の作物に、どれほどの違いがあるのでしょうか。
 人為的肥料は、作物が吸収すると、それが有毒化し、その毒が害虫と呼ばれる虫たちの発生や繁殖の原因になるのです。肥料に含まれるあらゆる害毒に対して、秀明自然農法では、「肥毒(ひどく)」と表現しますが、肥料を入れることによる弊害は深刻です。化学肥料や有機肥料の使用によって、土が窒素過剰な状態となり、作物に硝酸態窒素が多量に吸収されます。味の面では、えぐみや青臭さなどの元になり、何より、体内に入れることで、発ガン物質に変わります。これが、無肥の場合には、驚くほど、けた違いに低く、逆に食味や栄養価は高いという結果も出ています。
 まあ、数値的なことはさておいて、食べると、「非常に美味い!」ということです。食べた人たちは、口々に「こんな美味しいお米やお野菜は今まで食べたことがない」、「懐かしい味がする」、「野菜嫌いの子どもがパクパク食べました」など、うれしい感想を述べてくださいます。それはまさに、「天与の味わい」と言えるでしょう。きのこや山菜でも魚でも、「天然」と「養殖」では、全然、味も栄養価も違います。
 そして、無肥の作物のもう一つの大きな特徴として、「生命力の高さ」があります。具体的には、病虫害に強いこと、気象条件や環境の変化に対する適応力が高いこと、日持ちのよいこと、味が落ちないこと、食べた人が元気になること、種がたくさん採れることなどが挙げられます。


 

   

自家採種

自家採種
 
自家採種

   秀明自然農法のような自然栽培を実施する上で、大きなポイントとなるのが、「種を採る」ことです。どんな作物でも、その生命の源となる「種」が存在します。
 昔の農家は、種を採ることが、当たり前でした。その地域で育ててきた作物が、独自の進化を遂げ、在来種、伝統作物になってきました。各家では、先祖代々大切に受け継がれてきた種を嫁入り道具の一つにするほど貴重なものだったのです。
 現代農業では、ほとんどの作物が品種改良され、しかも、たくさんの肥料と農薬を使って作られています。種も同じです。肥料を吸収して育つように変質化してしまっているのです。ですから、土の中の肥毒を抜くと共に、種子の肥毒を抜くことも必要です。
 自然農法で育った作物から種を採る。その種を播いて、育った親からまた種を採る。それを繰り返す。健康な親から生まれた種子は、それだけ肥毒も抜けて強く逞しく、土本来の栄養を吸収して育つ性質を備えるようになります。
 岡田師は、種について、『種が非常に肝腎です。無肥の種と有肥の種とでは大変な違いです。』『土と種子に残っている肥毒の多少が、大いに影響する。』『土及び種子の肥毒が消滅するに従って、土は偉力を発揮するのである。』『肥毒さえ抜ければ、どんな種子でも一級以上の良種となる。』と説いています。

連作

連作

   そして、栽培上の最後のポイントは、『連作』です。
 一般的な農業の常識では、連作は避けるべきものとされています。いわゆる連作障害というものは、肥毒による影響が大きいと考えられます。一般農法でも、肥料をたくさん必要とする野菜や、土を選ぶとされる物は、絶対連作ができないと言われています。
 しかし、自然界においては、連作が当たり前で、ほとんどの植物は、自分が育ったその場所か周辺に種を落とし、再び命をつなぎます。 連作をすればするほど、土壌は作物の種類によって、その作物に適応すべき性能が自然に出来上がっていくのです。どんどん相性が良くなっていくというわけです。そこには、大自然のさまざまな命の働きがあるのです。 持続可能な、人と自然を生かす農業が、本当の農業でなければなりません。

農業の芸術

農業の芸術

 

農業の芸術


農業の芸術

農業の芸術

農業の芸術

   「人にやさしい」「自然にやさしい」という、いかにも健康や環境に配慮したかのようなフレーズがありますが、ここまで人間の健康や地球環境が危機的状況にさらされている現代においては、「やさしい」だけでは足りません。「人も、地球も、元気に美しくする」食と農が求められるのです。
 誰しもが、世界の平和、地球と人類の健康と幸せを願って止まないと思いますが、最も肝腎な、食といのちを支える農業が、一部の巨大な欲と権力によって、きわめて不自然に操作され、多様性を失い、画一化、単一化されようとしています。豊かな「いのちのざわめき」が、世界中で消えていっているのです。 これまで、さまざまなところで問題提起はされていますが、地球上のいのちの豊かさを取り戻す、真の食と農を普及せるための具体的な解決策の提案がなかなかなされませんでした。
 「秀明自然農法は、地上に天国を創る農法」と言ってくれた方がいますが、岡田茂吉師は、『地上天国は、真・善・美の世界』、『秀明自然農法は、農業の芸術である』、そして、真・善・美の中で最も重要なのが美であるとおっしゃっています。
 ある著名な方が、「美」について、美しいと感じるものは、自然そのもの、あるいは、自然に限りなく近いものとおっしゃっていましたが、たとえば、はるか昔に描かれた絵画や、建造物、彫刻や焼き物などの作品が、何故「美しい」と感じさせるのか。それはやはり、「自然に近い」からだと思います。作り手の自然観や、素材の持つエネルギーが一体となり、作り手の優れた「心・技」によって生み出され、さらには、それが長年多くの人々の祈りの対象であったり、日常ずっと、愛され、大切に使われ続けてきた物であったなら、より美しく、光り輝いて見えるのだと思います。
 「アズちゃん農苑」は、「農業の芸術・秀明自然農法」の実践を通して、“土、種、こころの清浄化”を目指し、百姓魂を磨くべく、日々自然と向かい合い、多くの人々の健康と幸せを願い、お米や野菜、加工品作りなどの農作業に励んでいます。 また、見学や研修も受け入れておりますので、ぜひ一度(二度でも三度でも)、美しい作物たちに会いに、圃場を訪ねてお越しください。

清浄な土、種、そして心。清らかな種と土が、 清らかな作物を育て、 清らかな作物は、 人を清らかにする。